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マタニティ・ブルー?~産後うつにご用心

 被告人席で判決を聞きながらうなだれる妻。傍聴席からその様子を見つめる夫は、何を感じていたのでしょうか。
 孝子の妊娠に、夫・善弘は舞い上がるほどの喜びを感じていました。孝子も、つわりの時期は終始船に揺られているようでつらかったものの、安定期に入ると気持ちも落ち着き、出産を心待ちにしていました。気分の落ち込みなど、全く無かったといいます。
 出産後、実家の母が援助を申し出ても、孝子は「大丈夫だから」と言って断りました。本当は赤ちゃんの頭の形や、思うようにいかない授乳に不安もあったのですが、自分が母親としてしっかりしなければと思ったのです。でも、出産後1か月を経過する頃から、自分が涙もろくなったり、気分が落ち込んだりする変調を感じ始めていました。
 1か月健診では、赤ちゃんが順調に成長していることが確認されました。それは孝子にとっても安心材料だったはずでしたが、孝子の気分はいっそう落ち込み、たびたび「死にたい」という気持ちが鎌首をもたげるようになりました。
 孝子の変調は家族の目にも明らかになり、出産後3か月を経過する頃、地域の健康福祉センターに相談。保健師が「エジンバラ産後うつ病自己評価票」を実施したところ、30点中24点でした。本来、9点以上で産後うつ病の可能性が高いとされていますので、明らかに重症でした。
 保健師から紹介された甲病院精神科では、服薬を強く勧められましたが、孝子は夫とも話し合い、授乳への影響を心配して断りました。また、保健師は児童相談所職員とともに家庭訪問し、一時的に赤ちゃんを乳児院に預けることも提案しましたが、やはり孝子たちは断りました。孝子は何度も「死にたい」という気持ちに襲われつつ、一方で、周囲に心配をかけたくないという思いから、気丈に振る舞っていたのですが、振り返ると、ここで専門的な治療や支援を断ってしまったことが悔やまれす。
 出産から6か月が経過したある日、孝子は遺書を書いた上で、仕事中の善弘にLINEメッセージを送りました。そこには、赤ちゃんを育てていく自信が無い、将来を悲観してしまう、ただ赤ちゃんをひとり残していくのも心配などと書かれていました。善弘はすぐに電話をかけ、孝子を励ますとともに、気分転換のために散歩に行くように勧めました。しかし、孝子から次に届いたメッセージには、「赤ちゃんが息をしていない」と書かれていました。救急隊がかけつけたときは、赤ちゃんは心肺停止状態。孝子は自分自身も死のうと包丁を握りしめていたのでした。
 裁判所は、詳細に事実経緯を認定した上で、孝子が重度の産後うつに罹患しており、その影響を大きく受けていたことを認める一方、なお自分の行動をコントロールする能力は完全に失われてはいなかったとして、「心神耗弱(こうじゃく)」状態にあったと判示しました。そして、殺人事件としては異例ですが、「孝子には服役よりも治療が優先されるべき」などと述べて、懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡しました。検察側も控訴せず、確定しました。
 産後うつは「マタニティー・ブルー」などと呼ばれることもありますが、実は重篤な疾患です。希死念慮を伴うことも少なくないため、乳児の虐待死の背景としても指摘されています。お母さんはもちろん、お父さんやその他の親族も、決して甘く見てはいけません。必ず専門的な診断とケアを受けるようにしてください。孝子のような悲劇を繰り返さないためにも(千葉地方裁判所平成29年3月3日判決。文中仮名。若干脚色してあります)。