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親父と妻を養子縁組させたい~末期ガンの夫が思いついたこと
突然、末期ガンで余命宣告されたら・・・。誰も想像したくないことですが、でも、あり得ないことではありません。エミー賞など数々の賞を受賞した米国ドラマ『ブレイキング・バッド』の主人公ウォルター・ホワイトは、愛する妻子に多額の遺産を残すため、なんと覚せい剤の製造を始めます。その奇想天外さはドラマならではですが、自分の亡き後のことが心配になるのは、ウォルターでなくても当然でしょう。
ノリさんは、子どもには恵まれなかったものの、愛する妻とふたりで仲睦まじく暮らしていました。自営業を営んでいて、経済的な余裕はありませんでしたが、定年がないため、長く働けば老後も大丈夫だと考えていたようです。
ところが、体調が優れないため病院を受診したところ、末期のすい臓ガンと診断され、ノリさんは余命数か月と宣告されてしまいます。青天の霹靂(へきれき)でしたが、もともと気丈なノリさんはすぐに気を取り戻し、自分が逝った後のことを考えました。そこで頭を抱えたのは妻の生活。当座は何とかなるでしょうが、老後の蓄えはなく、長く専業主婦だった妻がこれから稼いでいけるとも思えませんでした。
「親父の遺産がある!」 ノリさんは、はたと思いつきました。確かにノリさんのお父さんはちょっとした資産家で、代々受け継いできたお屋敷のほか、金融資産もそれなりにありました。とはいえ、お父さんはまだ亡くなっていません。7~8年前からアルツハイマー病に加え脳梗塞も患い、重度の認知症で施設に入所していました。
順当にいけば、ノリさんは弟のカツさん、妹のチカさんとともに、お父さんの遺産の3分の1を相続するはずでしたが、ノリさんが先に亡くなってしまいますと、ノリさんには子どももいませんので、すべての遺産はカツさんとチカさんに行ってしまいます。
ノリさんは、弟、妹、そして妻も呼び、こう切り出しました。「俺はガンで、あと数か月しか生きられない。治療に専念しようと思うが、俺が死んだらコイツ(=妻)には何も残らない。そのことが心配で治療に気持ちが向かない。そこで、親父とコイツを養子縁組させようと思う。いいよな」。弟のカツさんは、(えっ、だって、親父はもう完全にボケちゃってるのに・・・)と思いましたが、この状況で兄に異議を言うことなど、とてもできませんでした。
ノリさんは、さっそく区役所から養子縁組届の用紙をもらってきて、作成に取りかかりました。後に、ノリさんの妻は「署名押印はお義父さんが自分でやった」と主張しましたが、弟と妹は「ノリさんが似せて書いた」と主張しました。いずれにしても、何とか養子縁組届が完成し、区役所に届け出ました。
それから約2か月も経たないうちに、ノリさんは旅立ちました。養子縁組によって妻の将来も安心だと、安らかに永遠の眠りについたのかもしれません。
しかし、第二ラウンドは約2年後に始まりました。弟と妹が、父親とノリさんの妻との養子縁組は無効だと主張して裁判を起こしたのです。争点は、もちろん父親の意思能力。記録によれば、養子縁組のずっと前からお父さんに意思能力がなかったことは疑いないところでした。ノリさんの妻は、ノリさんがお父さんに税金対策も含めて養子縁組の意味を説明して頼んだところ、お父さんは「いいよ」と言ってくれたなどと主張しましたが、すべて排斥され、負けてしまいました。
ノリさんの妻への思いはとてもよくわかりますし、妻も、ひょっとすると、夫の思いを受け止めて、あえて争ったのかもしれません。一方、弟や妹は、お父さんの「意思」を踏みにじられたと感じていたかもしれませんね。法律的には簡単な事件ですが、さまざまな思いのすれ違う事件だったように思います(東京家庭裁判所平成24年5月29日判決。発言内容など若干脚色しています)。