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里美の決断~特別養子縁組

特別養子って、聞いたことがありますか。日本にはふたつの養子制度があります。普通養子と特別養子。その最も大きな違いは、実親との関係です。普通養子の場合、実親は親であり続けますが、特別養子の場合、実親は親でなくなります。法律上、赤の他人になってしまうのです。

里美が妊娠に気づいたのは17歳の夏。中学の先輩だった剛君と別れた直後でした。不純異性交遊。大人たちはそう言うでしょうが、里美は心から思いました。産みたい。産んで、おなかから出てきた赤ちゃんに会いたいと。

里美の両親は、里美がミニスカートを着るだけで目を三角にして叱りつけるタイプでした。里美は、中絶ができなくなるまで両親には言うまいと心に決めました。しかし、ひとりで育てていく自信はありません。そこで、剛君に相談しました。

「え、俺の子? マジで? いいよ、俺、働いて支えるよ」。剛君がそう言ってくれたとき、里美はかすかに希望の光を見た気がしました。しかし、それもつかの間。剛君の両親が事態に気づき激怒。怒った勢いで里美の家に押しかけ、里美の両親の知るところとなりました。

里美が泣いて産みたいと言うと、両親はそれ以上、堕ろせとは言いませんでしたが、母親がこう言ったのです。「あんた、どうせ育てられないでしょ。ちょうど親戚に子どもができない夫婦がいるわ。もらってもらいましょう」。親戚の佐藤夫妻はそれを聞いて喜びました。「いいわ。赤ちゃん、もらってあげる。でも、条件があるの。特別養子にしてね」。佐藤夫妻は、自分たちが唯一の親になることを求めたのです。

出産が迫るにつれて、里美はあきらめの気持ちが強くなってきました。自分で育てられないのだから、他人の子になるのも仕方がない。そして、里美は決断しました。里美は出産の日以降、ふたたび赤ちゃんの顔を見ることはありませんでした。

佐藤夫妻が特別養子の許可を求めて裁判所に申立てをしたときも、里美は調査官に対し、目に涙をためながらも、特別養子に同意すると言いました。

佐藤夫妻は養子をほしいと言うし、産んだ里美も同意している。裁判は何の問題もないと思われましたが、あにはからんや、第1審の家庭裁判所は特別養子の申立てを却下しました。なぜ、里美と赤ちゃんとの親子関係まで切断しなければならないのか。裁判官は「その必要はない。親子関係を切らない普通養子縁組で十分だ」と考えたのです。

ところが、第2審の高等裁判所は、一転、特別養子を認めました。里美が育てられない以上、親子でなくなっても仕方がないと考えたのです。その結論を争う人はおらず、結局、赤ちゃんは佐藤夫妻の特別養子になりました。

「育てられないとしても、親子の縁まで切るべきではない」。「いや、育てられないなら、親子でなくなっても仕方がない」。特別養子をめぐる永遠の、そして最大の論点ですが、30年後の里美にそっと尋ねてみたい気がします(奈良家庭裁判所平成27年1月30日審判、大阪高等裁判所平成27年9月17日決定)。