お知らせ

画家夫婦の離婚

「離婚しよう。でも、これまでどおり一緒に仲良く生活しよう。」
一般家庭で夫がこのような話を持ち出したときは要注意。裏に女性問題が隠れていたりしますから。でも、創作活動にいそしむ画家夫婦は、そうでもないようです。

いずれも画家である清さんと五月さんは20年以上にわたり、夫婦として仲むつまじく生活してきました。アトリエ兼自宅のマンションは、五月さんが購入したもの。マロニエ並木に面した瀟洒(しょうしゃ)なたたずまいは、パリのモンマルトルを思わせる風情でした。
ところが、ある日、清さんは離婚を持ちかけます。その理由は「法的な夫婦関係は自由な創作活動の妨げになる」というもの。凡人には納得しがたい理由ですが、五月さんは「そうね。」と応じ、協議離婚が成立します。ふたりは、ある弁護士に依頼して協議書を取り交わし、清さんは五月さんに生活援助金として毎年1200万円を支払うことを約束しました。
実際、離婚後も、ふたりはそれまでと変わらぬ生活を送ったようです。ますます旺盛に作品を公表し、ふたりでイタリアを旅行したこともありました。協議離婚から約10年後、五月さんは病に倒れますが、清さんは献身的な介護の末、五月さんの最期を看取りました。
ここで相続が発生しますが、重要なポイントは、清さんは実質的に内縁関係にあったとしても、もはや法律上の夫ではありませんので、五月さんの遺産を相続する権利がないということ。ふたりの終の棲家(ついのすみか)となったマンションは、五月さんの甥(おい)の洋二さんが相続しました。


マンション所有者となった洋二さんは、清さんが固定資産税等を支払うという条件で、いったんは清さんが住み続けることを了承しました。ところが、数年後、清さんの経済状態が悪化し支払が滞ると、業を煮やした洋二さんは清さんに明け渡しを通告し、まもなく裁判を提起しました。洋二さんはよっぽど腹を立てていたのでしょう、さらに「清さんは叔母に毎年1200万円を払うと約束したのに、支払っていなかった」と主張し、清さんに追い打ちをかけるように、相続人として最後の2年分にあたる2400万円も請求したのでした。
清さんの劣勢が予想された裁判でしたが、途中で、どんでん返しがありました。なんと、かつて離婚の相談を受けた弁護士が、五月さんの遺言書を預かっていたことがわかったのです。五月さんは離婚前に「マンションは夫・清のものとします」という記載のある遺言書を書いていたのでした。
一転守勢に立たされた洋二さんですが、いいところに目をつけます。「遺言書には『夫』って書いてありますよね。でも遺言書を作った後離婚して『夫』じゃなくなったんだから、遺言は無効のはずだ」というのです。さて、いったい判決は如何に・・・。


裁判所は、「法的な夫婦関係は自由な創作活動の妨げになる」という離婚理由について理解できるとしたうえで、清さんと五月さんがその後も夫婦同然の生活を送ってきたことを認定し、離婚したからといって遺言の内容が無効になるものではないとしました。そして、生活援助金2400万円についても、実際に支払うかどうかが重要なのではなく、離婚前と同じ生活を送ることの担保として取り決めたに過ぎず、清さんは十分その約束を守ってきたのであって、相続人が請求できるものではないと判示しました。結局、マンションは、五月さんの遺志に従い、清さんが取得することになりました。


俗世に生きる弁護士としては「離婚なんてしなくてよかったのに」と思わないではありませんが、芸術の創作という場面においては、確かに法律が束縛に感じられることもあるのでしょう。清さんと五月さんは、芸術家としての夫婦のかたちの一例を示してくださったのかもしれません(東京地方裁判所平成27年5月28日判決。文中仮名。若干脚色してあります)。