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夫婦の亀裂~同居を命ずる審判

いったん夫婦の間に入った亀裂を修復できるのか・・・。もとよりケース・バイ・ケースではありますが、夫の見方と妻の見方が大きくずれることがあるようです。

幸雄さんと光子さんは職場で知り合って結婚しました。約20歳の年の差を超えてのゴールインで、幸雄さんは若いお嫁さんをもらったと随分からかわれたそうです。光子さんは寿退職し、夫婦生活をスタートしました。
光子さんが不満を募らせるようになったのは、長男を出産した頃からでした。事情があって幸雄さんの父親、つまり義父と同居することになったのですが、義父は糖尿病を患っており、食事療法や透析が必要でした。光子さんは手のかかる乳児と病気の義父の世話をひとりでしなければならず、その負担はとても大きかったようです。
幸雄さんとしても、光子さんの苦労を理解してあげられればよかったのですが、自分自身も仕事で多忙を極め、光子さんの苦労など取るに足らないことと感じられました。決定的だったのは、長男の発語が遅かったことを相談したのに、幸雄さんがまともに取り合わなかったこと。結果的に長男の発育に問題はなく、幸雄さんからしますと「ほらみろ。大したことなかったじゃないか」という話ですが、光子さんの心は離れてしまいました。一度だけですが、幸雄さんはお酒を飲んで光子さんに手をあげたこともあったようです。
第2子の長女出産を機に、光子さんは子どもを連れて実家に帰り、その後、離婚調停を申し立てます。初めて事態の深刻さに思い及んだ幸雄さんは、一生懸命謝りました。光子さんも、このときは直ちに離婚することにはちゅうちょがあったようでした。結局、ふたりは、①当面別居を続けつつ、将来円満にやり直す方向で冷静に考える、②その間、幸雄さんは光子さんに定額の生活費を送る、③幸雄さんは父親を施設に預けるとか、少なくとも光子さんが介護しやすいように家を修理する、④お互いに相手の意見をよく聴く、などという約束をしました。
幸雄さんの方は、進んで断酒するとともに、定額以上の生活費を送り、電話したり会ったりするときには決して自分の意見を押しつけず、光子さんの話をしっかり聞くようにしました。後に裁判所も、幸雄さんが誠実に努力をしたことを高く評価しています。ところが、光子さんの方は、調停成立後、自己啓発セミナーに参加し、「自分の生き方を見つめ直した方がよい。」と助言を得たことから、再び大きく離婚に傾いていきました。
父親が逝去したことから、幸雄さんは光子さんに同居を持ちかけましたが、光子さんは、むしろ「土下座するから別れて」と主張。そこで幸雄さんが打った手は・・・。「同居を命じる審判」でした。
実は、民法は夫婦は同居の義務があると定めています。その一方、古い判例があり、それは強制はできないともされています。幸雄さんもそれは理解していました。ただ、裁判所という第三者が冷静に判断して同居を命じる審判をしてくれれば、あるいは光子さんは戻ってきてくれるかもしれないと期待したのでした。
ここで裁判所は悩みます。悩んだ末、長大な審判書を書いて、幸雄さんの申立てを却下しました。要は、光子さんの離婚の意思は固く、認める審判を書いても翻(ひるがえ)る可能性はないという理由で、「幸雄さんの心情については十分理解できるものの、却下するほかない」と述べたのでした。
「これだけ努力したのに、幸雄さんがかわいそう」、「光子さんは身勝手」という見方もあるかもしれませんが、一方で、同居中、光子さんが受けた心の傷がそれだけ大きかったという見方もできるでしょう。「取り返しのつかない事態は、静かに静かに進行する」と肝に銘じておいた方がよいかもしれませんね(札幌家庭裁判所平成10年11月18日審判。文中仮名。若干脚色してあります)。